どうも、ゆきちと申します。
ソロギターを独学で習得する皆さんを応援する当サイト「ソロギター独学ブログ」を運営しております。
ブログのコンセプト
私の生い立ちが驚くほど長くなってしまったので
先にこのブログのコンセプトだけでも見てってください。
このブログでは
ソロギターを独学ではじめよう。と決めたみなさんが、
1曲弾けるようになるまでをあの手この手でサポートいたします。
実際に一度ギターを挫折した私の経験を踏まえて
どうやったら挫折せずにソロギターを続けられるか
なるべく負担をかけずに楽しく練習できるか。
ということを日々考えながらブログを運営しています。
次の項目からは「誰が興味あんねん」な私の自己紹介をしたいと思います。
生い立ちとその時期よく聴いていた曲
幼少期【夜空ノムコウ(SMAP)】
19xx年3月末日雪がしんしんと降りしきる中
大阪に生を受けます。
小さい頃からひとみしりでしたが
不思議と友達はそれなりにいました。
父と母が共働きだったので
幼稚園のおむかえはおじいちゃんや
従姉が迎えにきてくれました。
幼少期のほとんどを
おじいちゃんとおばあちゃんの家で過ごしました。
忍者ごっこが好きで
将来の夢はもちろん忍者になることでした。
伊賀に生まれてたら叶ったかもしれない夢ですが
私は忍者にはなれず、立派な社畜になっています。
小学生時代(1~3年)【ラフメイカ―(BUMP OF CHICKEN)】
ちょっと訳ありで
小学校に上がる直前に引っ越しをします。
といっても、元居た場所から1駅離れたところです。
幼稚園の時からの友達は誰もいません。
期待と不安に胸を膨らませながら
友達100人つくる気満々で小学1年生になります。
そしてこの時、
今も仲良くしてくれている親友と出会います。
知り合ってかれこれ20年立ちますが
久しぶりに会っても、昨日も会っていたかのようなノリで話せます。
最近ではスプラトゥーン2を一緒にやっています。
今では2人ともアラサーですw
小学校での生活はどうだったかと言うと
基本的には物静かですが
休み時間は外に出て走り回って
中庭の池にはまったり、
高学年の男の子とぶつかって鼻血を出したりしてました。
あの時保健室に連れて行ってくれたお姉さんには
お礼を言いたいです。
小学生時代(3~6年)【少年(ゆず)】
5年生の時、友達にカラオケに誘われます。
小学生の時、外を走り回るか
ゲームをするかしか遊び方を知らない私は、
カラオケといわれても、
なんかとりあえず歌を歌うところだと思っていました。
(あながち間違いでもない)
とりあえず歌える曲を作らねば!と思って、
歌の練習をし始めました。
一番はじめに覚えた曲は
ゆずの「桜木町」でした。
一緒にカラオケに行く友達が
ゆずが好きだったので
私もゆずを聴くようになり
その中でも好きだったのが「桜木町」です。
何度も繰り返し聞いて、歌詞を印刷して
息継ぎのところ、音を伸ばすところなどをメモして
練習していたのを覚えています。
カラオケに行くために歌えるようになったのは
3曲ほどでした。
カラオケに誘われてそんなに日がなかったはずなんですよ。
それでも懸命に練習して
渾身の3曲をもってカラオケにのぞみました。
が、友達の歌がうますぎて
音痴な自分が恥ずかしくなりました。
そして3曲じゃ足りなかった…
カラオケって
フリータイムで
10時に入って17時にでてたかな?
なんし6時間くらいは歌ってるんですよ。
3人で行ったら
1人3時間歌えます。ですが
私の持ってた3曲って合計15分くらいしかもたないのです。
持ち歌が少なすぎるなと思いました。
家に帰って一人反省会です。
まず、持ち歌を増やす必要がある。
そして。私は音痴だということが改めてわかりました。
なので、音程をばちっとキメる練習が必要である。
3時間歌うには1曲5分として
36曲歌えるようになれば時間は繋げられる。
延長の事を考えると40曲は歌えるようになればいいだろう。
などと色々考えました。
次の日からまずは曲を集める事に専念します。
ツタヤに行って、ベストのコーナーのCDと
ゆずのCDを借りに行ってPCの中に入れました。
歌詞カードを見ながら曲を聴きこみました。
とりあえずゆずの曲は片っ端から練習しました。
友達がゆず好きだったのもありますが。
私自身もゆずが好きでした。
歌の練習をしまくって
同じメンバーでカラオケに行きました。
私が歌うと友達が「歌うまなったなぁ~」
と言ってくれ、とても嬉しかったのを覚えています。
あぁ、努力は無駄ではなかったのだと。そう思いました。
そんな出来事があり
私は歌うことにのめりこんでいきます。
ゆず・バンプ・スピッツ
他のアーティストの新しくリリースされた曲なども
どんどん練習しました。
歌の練習をしているときも
歌える曲が増えていくのもすごく楽しかったです。
小学校の時の習い事
- 水泳
- 習字(硬筆)
- 英語
水泳は幼稚園の頃から続けていました。
しんどくて行くのがダルイなと思ってましたが
今は水泳習っといて良かったなと思います。
この時期に何か音楽系の習い事をしていれば良かったなと今更ながらに思います。
中学時代(暗黒時代の幕開け)【春風(ゆず)】
さて、ここから私の闇の3年間がはじまります。
今思い出しても自分、病んでたなと思うし
人間が信じられなくなったのもこのころからです。
弾き語りをはじめようとアコギを買うも
Fコードの壁を越えられず挫折します。
人間不信になったのは中学の部活が原因だったと思います。
2年のころから、部活で軽いいじめがおきます。
(多分ことの発端になった人間は気が付いていない)
部活に行くのがだんだん嫌になって、
なんか、体までしんどくなって、
全身にじんましんがでたりしました。
部活は当然休みがちになり
結局やめてしまいます。
体育会系の部活だったので先生に相談もできませんでした。
いじめが嫌に感じるのは私の精神が弱いからだと。
そう言われるような気がして。
たぶん、あの顧問の先生なら言わないと思いますが。
もう誰も信用できなかったんで、相談するという選択肢もありませんでした。
部活をやめるか悩んでた時期が
中学生活の中で一番苦しかった時だと思います。
部活をやめてからも
いじめに立ち向かえず逃げた自分が
恥ずかしいやら悔しいやらで
生きてることがつらくなります。
さすがに自ら命を絶つ勇気はなかったので
仕方なく生かされ続けることを選びます。
毎日「なんで生きてんねやろ、生きてる意味ないやん」
とずーっと考えていました。
これ俗に言う反芻思考ってやつで
同じことをずーっと考えている
精神を病んでる人とか病みやすい人の思考の特徴です。
最近は生きてる意味などない事に気が付き
生きる意味がないとすれば、自分が好きなことをして生きていればいいだけなのでは?
と吹っ切れたので、大好きな音楽をしつつ生きることにしました。
そんなこんなで
自分も他人も大嫌いになり
挙句の果てに生きることが嫌になった3年間に別れをつげて
次の3年間に挑みます。
高校時代【SUNDAY(ザ・ベイビースターズ)】
今のところ
人生の中で一番幸せだった時期が
この高校生時代です。
中学の暗黒の3年間がありましたが
同じ中学から同じ高校になったのは20人くらいです。
なので私の暗黒時代を知るものはほとんどおりません。
高校生活はエンジョイするぜ!友達100人つくるぜ!
な意気込みで1年生になりました。
高校生になったら軽音楽部に入ってギターを弾く!
と決めていた私は軽音楽部に入部します。
軽音楽部に入部するとまずは
新入生同士でバンドを組みます。
初期のメンバーは全員で5人
希望楽器はキーボード、ボーカル、ギター、ギター、ギター
ん?ギター多くね?
となり、じゃんけんで負けた人がドラムをすることになりました。
私もギターを弾きたかったので運命のじゃんけん大会に参戦します。
じゃんけんの勝敗は、といいますと。
見事に惨敗いたしました。
そう、このじゃんけんで負けたことがきっかけとなり
私は高校の3年間をドラムと共に生きることとなります。
もはやこれは運命なのだと
自分自身の運命を受け入れました。
速攻で切り替えて、3年生の先輩から
ドラムを教えてもらいました。
取り組むなら何事も本気で取り組むタイプなので
「ドラム極めたるで!」と思いつつ練習に励みました。
とはいえ、ベースがおらんと
音楽ははじまらんぜ。
ベース担当を探し始めます。
なぜか違うクラスにも友達ができていたので
いろんな人に「音楽やらないか」
と声をかけていきます。
当たって砕けろ精神で
いろんな人を勧誘していると
バスケ部に入ろうとしていた美女の引き抜きに成功します。
これでメンツがそろったのでバンド活動を開始します。
音楽とバイトに明け暮れる日々【SHAMROCK(UVERworld)】
高校1年の秋ごろから
地元の友達に誘われて
居酒屋のキッチンでバイトをはじめます。
魚のうろこをとったり
野菜を切ったり
仕込みを主にやってました。
あとは、コース料理の盛りつけとかです。
冬は水が冷たくて、
手がキンキンに冷えて痛くなったのを思い出します。
電子ドラムを買いたかったので
遊びたい気持ちを抑えて
頑張って稼ぎました。
コツコツ貯金して
ローランド電子ドラムを買えたときは
ホントに嬉しかったです。
電子ドラムが家に来てからは
電子ドラムで練習していましたが
ないときは、クッションを叩いたり
雑誌を叩いたりしていました。
この頃培ったリズム感は
ソロギターの演奏でも活きていると思います。
大学時代【ソーダ(sumika)】
勉強がしたくなかったのと
ものづくりがしたかったので
芸術系の大学に進学します。
この時期は
いろんな物や事に触れて世界が広がったのと
自分が少し生きやすくなった時期でもあります。
芸術系の大学は多様性を重んじているところがあるので
こんな自分でもいいのかなぁ、と
1ミリくらい自己肯定感が生まれました。
コンビニのバイトをしていたので
サークルには入りませんでした。
今思ったら、入っとけばよかったなと思います。
サークルとか、部活って、その学校にいる時にしかできないことだったり
その時に集まったメンバーって、やっぱり何かしらの縁があると思うから。
これからチャンスがある人は、やってみたほうがいいと思いますよ。
音楽活動は
今までと同じで、
ツタヤにCDを借りに行ったり
友達にオススメのアーティストを教えてもらったり
歌の練習はずっと続けていました。
泥にまみれた3年間【愛をからだに吹き込んで(Superfly)】
陶芸を専攻していたので
正確には土にまみれてました。
ずーっと土をこねて
ろくろを回して
釉薬をつくって
窯を焚いて
って言うのを繰り返していました。
楽しかった。
失敗しても、上手くできても、
何もかもが初めてで
とても新鮮で刺激的な日々でした。
ものをつくっている時と
音楽をしている時は
今を生きられているなぁと感じます。
就職活動【SISTER(back number)】
4回生になるとついて回るこの話題
芸大生も例外ではありません。
とんとん拍子に決まる子もいれば
そうじゃない子もいる。
私はそうじゃない子でした。
そもそも就職活動って
無駄が多くて大嫌いだし
就職って言うより
日本の場合、「就社」
だよなーなんて考えてました。
そもそも
1回、2回会っただけで
その人の何がわかりますか?
と聞きたいです。
メンタリストじゃあるまいし。
こんな歪んだ考えを根に持つ人間が
面接に受かるはずありません。
だって心の底ではどこでも働きたくないと思っているから。
ていうより
いっぺんお試しで働かせてみて
使われへんかったらクビにして下さい。
って感じでした。
まぁ。考えが合いませんよね。
そもそも、一つの場所で長く働く意思がないので
就職活動せず別の道を探した方が
よかったなと思います。
結局
料理が好きだからという理由で
個人店のイタリアンレストランに就職します。
イタリアンのキッチン時代【ひまわりの約束(秦基博)】
この時代は短く3ヵ月で終わりをつげます。
個人の飲食店は拘束時間が長すぎました。
朝は9時から夜は終電までを週6日です。
普通に時給換算したら100円きってたのではないかと思います。
他にもいろんな理由がありましたが割愛します。
倉庫のピッキングバイト時代【それは僕たちの奇跡(μ’s)】
イタリアンを辞めてから
某大手通販サイトの倉庫でピッキングをしていました。
ピッキングは注文がきた商品を集めるお仕事です。
誰とも話さなくていい、モクモク、コツコツ
生産性だけを意識して仕事していれば
罵声を浴びせられることもありませんし、
文句も言われません。
平和な日々でした。
すこし心に余裕が持てたからか
この頃からギターを弾き始めます。
アコギは家にあったので
とりあえず1曲弾けるようになったら
いいギターを買おう。
そう決意して練習をしました。
一番初めに練習したのは
サスケの「紫陽花の詩」でした。
そう、ソロギターではないんですね。
アルペジオの弾き語りなのです。
まぁなんとか
1曲弾けるようになったので
新しいギターを買うことにします。
私が選んだのは
フォルヒのG23-CRCTです。
なぜフォルヒにしたのかはまた
別記事にまとめます。
新しいギターを手に入れ
職場でも仲良くしてくれるお姉さんがたもいて
楽しい毎日をおくっていました。
ですが、そんな平穏な日々も自らの手でピリオドを打つこととなります。
このまま倉庫にいてもどうしようもないと思った。
毎日、毎日、倉庫の中を歩き倒して
商品を集める日々。
仲良くしてくれる人もいるし
膝や腰が痛いけど、精神的な苦痛はすくない。
だけど、
このままここで働きつづけていても
私はどこにも行けないなと思いました。
何かスキルを身につけなくては。と思い
短期のプログラミングスクールに通うことを決意します。
プログラミングスクール時代【瞬き(back number)】
倉庫の仲間と涙のお別れのあと
プログラミングスクールに通いだします。
選考したコースは
「Webプログラミング科」
なんかかっこいいでしょ。
ワードプレスのカスタマイズができたらいいなと思い
カリキュラムにワードプレスの項目があるコースにしました。
ワードプレスは当ブログでも使用しているCMSです。
教わった内容は
HTML,CSS,PHPの基礎です。
あとワードプレスのカスタマイズも教わりました。
もともとWindowsのノートPCを使用していましたが
スクールのPCがMacだったので
Macに慣れるために中古でMacBook Proを購入しました。
スクールでコードをガリガリ書いて
家に帰ってもガリガリコードを書いていました。
もともと肩こりがひどくて
そのうえ頭痛もちなのに
眼精疲労でさらに悪化していきました。
満身創痍になりながらも
いろんな派遣会社に登録して
今働かせて貰っているところに
お仕事が決まります。
スクールの期間は半年ほどでしたが
とてもいい経験になりましたし
ブログを運営する際に役に立っています。
1日しかなかった、イラレとフォトショの授業のおかげで
メインビジュアルをつくることができました。
Web系事務時代【フレスベルグの少女(Caro)】
現在、プログラミングスクールを卒業した後に
働かせて貰っている会社ももう2年がたとうとしています。
先輩がどんどんいなくなり
今では私が先輩になってしまいました。
なんだかよくわからない
プレッシャーや不安を感じながら日々を過ごしています。
今後の展望
夢というか、野望というか
こうなればいいなって言うのは、
「音楽だけして生きていけるようになりたい」
です。
そんなのムリ。
と思うかもしれませんが、
何事も挑戦してみないとわかりません。
どうすれば、自分の理想に近づけるのかを
日々考えて実験している最中です。
今は、これからソロギターを独学ではじめられる皆様のサポートができればいいなと思って、ブログのコンテンツを充実させることに奔走しています。